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医王山の空高く耀く★ 「HOKULANI」のきまぐれ創作集
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最期

 平安時代の末期、源氏と平氏の長い争いが終焉を迎える頃のことでございます。それまでの源氏と平氏は「東国の源氏」、「西国の平氏」と呼ばれ、朝廷政治における武力の要でありました。当時、この二大勢力は、競うように内乱の鎮静に活躍し、皇族を凌ぐほどの絶大な力を持つようになります。

 特に平氏方は栄華を極め、中心人物たる平清盛は政治の実質的な実権を握るまでに上りつめてゆきます。一方の源氏方はといえば、それ以前の「平治の乱」でこの清盛に敗れ壊滅、霧散してしまうのですが、実は虎視眈々と起死回生の機会を窺がっていたのでございます。  

政治の実権を握った清盛、その武力にまかせる政治手法は、皇族、貴族はもとより寺院らの反感を強くかうようになり、その不満のほどは、はちきれんばかりに大きくなってしまいます。「平家にあらずんば人にあらず」 そう豪語する平氏方の傍若無人ぶりに業を煮やした、後白河法皇第二皇子 似仁王はついに治承4年、平氏を追い討つ決意を諸国に散っている源氏に伝えます。

「ついに、時いたるか」
平治の乱で捕らえられ、伊豆・蛭が小島に追いやられて20年、34歳になった源頼朝は、平氏追討の兵を挙げます。そして、22歳の異母兄弟の義経の参陣、さらに続けと信濃の国 木曽谷の27歳、今回のお話の主人公、木曽義仲が兵を挙げるのでありました。  そしてまもなく、平家の屋台骨 清盛が病死し、弟の宗盛、甥の維盛らが采配を揮うようなり ・・・・・。時の背景についてはここまでに致したく思います。このたびは、源平合戦の舞台の片隅に、ひっそり咲いた儚くも悲しい愛の逸話をお届けいたしたく存じます。   

 寿永2年5月、木曽義仲は信濃より大群を率いて北陸道の西方、石川と富山の県境にある倶利伽羅峠で平氏軍と対峙する準備をはじめます。義仲は、一番大将、手塚太郎光盛や樋口次郎兼光、そして千の兵を率いる女大将巴御前ほか味方の武将達を集めて訓言します。 「いよいよ平家がやってくる。かって私は、敵の4万の兵に僅か3千で戦い勝利をものにした。それに比べれば、今度の敵の10万に対して我らは5万。大したことはない。敵は京や西国から駆り出され、やっとの思いでやってきた侍達である。これに比べて、こちらは地理に詳しい地元の、しかもあらての侍ばかりである。こんな安心なことはない」加賀の武将達を味方につけた義仲は、こうして言葉巧みに軍をまとめておりました。

 さてさて、平家10万の大軍が長蛇の列をなして倶利伽羅峠を越え、東方砺波への下り坂を降りてきました。平氏軍はその途中、遙か山麓の「八幡大菩薩の源氏の白幡」を見つけるや、驚きの声をあげます。 
「麓の源氏はかなりの軍勢だ。」「しかしながら この見渡す限りの岩石の山々・・・そう簡単に攻めては来れまい」
「高みにいる以上は数の多い我らが有利なことは疑う余地はない」
平氏軍はそう考えることで安心を得ようとしたのです。

 長旅で休息に向かいたい平氏軍、峠を越えさせてはならないと考える源氏軍、その双方がここ倶利伽羅で対峙します。そして膠着状態に入ります。  ところがこれも義仲の考えの及ぶ範囲でございました。実のところ、義仲は既に味方を七つの部隊に分け、平氏軍周辺に配備しており、麓の源氏の白幡は敵を峠に足止めさせるために予め用意しておいたもので、いわば無人の陣営でございました。  両軍の駆け引きが続き、いっときが経過。そしてついに平氏軍は義仲の仕組んだ陥穽に嵌ります。平氏軍は「直ぐの戦いはない」と判断、兜を脱ぎ戦装束を緩めて兵士達は休息に入ってしまったのです。緊張の糸が途切れた瞬間でありました。  

 闇の静寂が辺りを包む頃、突如、太鼓、法螺貝が打ち鳴らされます。義仲の奇襲が始まったのです。縦横無尽に挑みかかる七つの部隊、その先陣には、なんとその角に明々と松明を付けた五百の牛を配備し、一気に突入します。怒涛のような攻撃に慌てふためく平氏軍は、次々と谷底へと蹴落とされてゆきます。義仲軍の完全勝利でございました。  

 かろうじて残った平氏の軍勢は敗走します。その中に70歳にもなろうかというのに、その眼光鋭く総大将の維盛を守るかのように共に敗走する、見事ないでたちの侍がおりました。この人こそ、武蔵の国の主であり猛者と謳われた斉藤別当実盛、今回のお話のもう一人の主役なのであります。  このように、ここ倶利伽羅では、木曽の暴れん坊、義仲とこの老武者実盛は直接戦うようなことはなかったのでございます。が、しかしこの二人、実は深い因縁で結ばれていたのでございます。     

 この時から25年ほどさかのぼります。当時、時の情勢により、実盛は源氏方に属しておりました。が、ある時 そんな実盛に源氏の身内同士の諍いがあったとの風の便りが届きます。  暫くすると、突如 実盛の屋敷に一組の親子が訪ねて参ります。源氏の身内抗争の渦中、父を殺され「親の仇」に豹変するを恐れた相手方に追われる身となった幼子、駒王丸とその母でございました。幼子は自分の置かれた状況が解るのか、身を震わせながらも、今は敵とも味方とも解らぬ実盛の顔をじっと睨みつけます。

「そちはこの実盛を威嚇しておるのか。無礼者め!」  
当時の実盛は武蔵の国の主として私心を捨てた善政を行い、その人柄は素晴らしく、地元の民にも敬愛される評判の人格者でございました。45歳にして早くも少し白髪が混じってはいても、その風情は歴戦のつわものとしての誇りと私利私欲を捨てた職への姿勢が余裕となって感じさせるに充分でありました。
「わたしも、そち達を探し出し、即刻打ち首にするように達しをうけてはおる。しかし、このような同族の争いのなか、わが身の保身のみの理由から、幼い命まで手にかける所業、到底できるはずもない。・・・もとより源氏の血を引くこの子。見てみなされ、気丈にも気高く私を睨みつけておるではないか。」

そこまで言うと「猛者」と謳われた実盛の顔がみるみる柔和になり、やがて幼子の体から震えが消え、安心したかのように泣き叫びます。この子が2歳の木曽義仲、後の世に戦に長けた武将として名を馳せた源義仲。その人なのでございます。  「不憫よのう。お前も私も、共にこの時代に生かされておる。そなたにも御仏からの大きな使命があるのじゃろう。そなたを守ってあげまするぞ」実盛の頬に一筋の涙が伝います。そんな実盛を前に、ただただひれ伏し泣くばかりの母子・・・。命がけの決意を胸に、頷くばかりの実盛でありました。
「源氏の血を引くこの子。成人のあかつきには国のため働き、主になるやもしれん。心して養ってほしい」実盛は、ある信濃の豪族のもとにこんな手紙を持たせて親子を旅立たせるのでございます。    

 それから、おおよそ10年余の年月が流れます。少年になった義仲は、村の友達と「弓」に興じておりました。体格の立派になった義仲は、村の大人も全く引けぬと降参するほどの引きの強い弓の使い手でありました。義仲の放つ矢は的の中心を射抜き、そのたび友人たちは驚嘆の声を村中に響かせ、矢の殆どを的中させる義仲に村人達も驚くばかりでございました。義仲が得意そうにしていると、ひときわ野太い声が背後から聞こえます。

「みごとなものじゃ。これで戦いの場で動き回る敵を射抜ければ尚のこと見事。」振り返る義仲に声の主はなおも続けます。「さりとて、無駄に矢を射るその前に、相手の心の臓を握るほどの肝を鍛えることも肝要」すぐさま反応する義仲。
「私が遊びに興じるだけの腑抜けと申すか。そなた、私のこの弓を引いてみよ。そのうえでお話をきかせてもらおう」
義仲の気迫に、皆に緊張が走ります。  

 実盛は、義仲の挑発を楽しむかのように笑みを浮かべ、弓を取り上げます。厚い胸板、隆起した二の腕、そしてなにより、ここが戦場かと思いまごうほどの形相。弓を引ききる実盛の勇ましい姿に周りの者も息を飲みます。そして、あっという間に矢は放たれ、先に中心を射抜いていた義仲の矢を真っ二つに蹴散らし、的の中心深く土中に刺さります。言葉を失う村人達。 もしや、このお方は・・・、いや相違ない。義仲の胸中にふと懐かしさに似た何かがよぎります。

 義仲は慌てるように膝をつき言います。
「実盛殿、お久しゅうございます」
義仲は養父より、すべてのいきさつを聞かされていて、ことさら実盛の恩を身にしみて感じておりました。実盛が世に名を轟かすほどの弓の使い手であることも、いずれこの信濃の地を訪ねてこられることも信じて疑わなかったのです。弓の研鑽を積んできたのもこの日のためであったのでございます。

 「無礼者。たのもしくなられなのう。さすが源氏の血は尊い。世はまだまだ戦乱が続く。民のためにも日の国のあるじとなるよう、ますます精進なされよ」こうして二人はこのひととき、時を埋めるかのように語り合うのです。
傍らで二人を見ていた養父はぽつり言います。
「まるで、本物の親子のようじゃ・・・」
共に生きて二人が会った二度目であり、最後の日でもありました。

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